シマンチュ課長が教える、台風の怖さ

シマンチュ課長が教える、台風の怖さ

ウガミンショーラン。

クガツヤテーフーヌキティ、ナンギダッタヤ。

ヤマトゥンチュヤ、テーフーサバクリバナンシタカイ?

シマナンティ、テーフーヌサバクリバセンチュヤフリムンッチヨバレルド。

 

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ウガミンショーラン。

クガツヤテーフーヌキティ、ナンギダッタヤ。

ヤマトゥンチュヤ、テーフーサバクリバナンシタカイ?

シマナンティ、テーフーヌサバクリバセンチュヤフリムンッチヨバレルド。

 

訳:

こんにちは。

9月は台風が襲来して大変でしたね。

本土の方は台風の準備はされましたか?

島じゃ、台風の準備をしない人はおばかさん扱いされますよ 

 

 

 

改めまして、こんにちは。

テナントリテンションの安田です。冒頭のことばは、私の地元、鹿児島と沖縄のおおむね中間点にあります、奄美大島の方言をつかって、台風について語ったものです。

 

ご存知の方も多いと思いますが、台風は、日本の遥か南の海上で発生し、通常沖縄あたりでカーブして、日本列島を通過するコースをたどることが多いです。

 

その中でも南の海上では、速度も遅く勢力が強いまま台風が居座る為、沖縄や奄美地方では毎年9月10月になると、この台風の準備に追われます。

 

私が子供の頃、猛烈な台風の被害により実家が住めなくなり、親戚の家に暫く居候した経験があります。今回はその当時の様子をご紹介しながら、皆様にはしっかりと台風に対する準備をしていただきたいと思います。

 

小学5年生 台風襲来・・・衝撃の記憶

今回ご紹介する台風は平成2年台風19号(flo)です。この台風の詳細はこちらをご参照ください。

当時の気象予報の情報はこちらになります。

 

平成2年、当時私は小学校5年生でした。私の家族は、祖母・父・母・弟(7才)・弟(3才)・弟(0才)の7名構成で、両親は共に朝から仕事に出かけていました。超大型の台風が来るという理由で、学校は当然休校。家の中で弟と遊んでしました。

 

昼過ぎぐらいでしょうか。停電が発生しました。停電自体は地元では珍しいものではなく、台風が来るたびに起こる現象でしたので、「あっ。またか…」ぐらいの気持ちでいました。

 

台風対策を施された重厚な雨戸を締切にした家の中は、昼間なのに真っ暗です。停電しているのでファミコンで遊ぶこともできませんし、テレビも見れません。かといって外で遊ぶことができるわけでもなく、はっきりいって子供の立場から見るととってもヒマなんです。

 

屋根よさらば

私の実家は1F平屋建てで2階がありません。間取り図で書くとこのような感じになります。

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先程の続きですが、ヒマでたまらず、弟(7才)と弟(3才)とLDKで遊んでいました。家の中で締め切りにして遊ぶと当然うるさいので、弟(0才)をおぶった祖母に怒られます。

「ハゲーヤカマシャ!(もう!うるさい!)」

私達はお構いなしに遊び周ります。しばらくすると、リビングの天井から雨が漏れてきました

 

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間取り図内の水色の部分が該当箇所になります。

私と弟たちはなんだか楽しくなっていました。当時、ドリフのコントで鍋で雨漏れを受けるシーンがあり、それを思い出しマネして笑っていました。

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しばらくすると、雨の音がひどくなり、雨漏れも広範囲にわたるようになりました。室内では、鍋で雨を受けると数秒後には鍋がいっぱいになってしまうほど

の水が漏れてくるようになり、こうなってしまうと笑えません。

祖母が、状況を両親に電話で伝え両親も仕事を切り上げて帰ってくることになりました。その間も雨漏れはどんどん進みます。

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最終的に雨漏れはここまで広がりました。ここまでくるととても住める状態ではなく、雨の勢いも増すばかり。

そのころ、父がようやく帰宅し、漏水している部屋から漏水していない部屋に家具を移動させました。後で知ったのですが、このときの漏水は家の屋根(トタン)が吹き飛んでいってしまったことが原因であったそうです。

 

 

 

 

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上の図の塗りつぶされた部分は屋根が飛んだ箇所です。

よく見ると、屋根の端部の角度が少ない面のみトタンがはがれていました。他方の面は被害はありません。理由はわかりませんが、角度によって

屋根の強度に影響があることが考えられます。

 

逃げろ!

LDKの床はもう住める状態じゃないぐらい水浸しになってしまいました。父に続き母も帰宅し、変わり果てた家を見てしばしボー然としていましたが、すぐに非難する段取りを取りました。

避難先は、50メートルと離れていない親戚の家です。最初はレインコートを付けた上で徒歩での移動を考えていましたが、玄関の開き戸が風圧が強く開きません。二人がかりでドアを開いたものの、風が強すぎで、ドアクローザーが壊れてしましました。そして風が強すぎて今後は扉が閉まりません。雨はほぼ地面と平行に降り排水が追い付かず、地面から30センチほどの高さまで水であふれています。

 

この時の台風は秋雨前線を刺激して奄美地方では大雨を降らせました。

そして木材をはじめ得体のしれないものがひゅんひゅん飛んでいるため、50m程度の距離であっても徒歩での移動は危険との判断より、車で移動することとなったのです。

 

非難した親戚の家でも停電が続いていました。夜になり、さらに暗闇があたりを支配しだすと、外の暴風の音しか聞こえなくなります。

暗闇の中で常時付けられているろうそくと、ラジオの情報が不安なこころを鎮めてくれました。

 

台風一過~復旧まで

この台風は勢力が強いだけでなく、南西諸島にいるときは非常に遅い動き(15~25km/h)で通過していきました。通常なら一日で去っていく台風が、長居したせいで、被害も大きくなったようです。

不安な夜を超え、外に出ることができたのは2日後のことです。外は木の葉と遠く離れたお店の看板の破片が散乱している状態です。台風が過ぎて1日後から学校が始まりましたが、当時、校舎は立替中であり、小学5年生は仮のプレハブで作られた教室であったため、中身がぐちゃぐちゃで授業もできる状況ではありませんでした。

そんなところから数日間授業はなく、復旧に係る清掃が授業代わりとなりました。

実家が復旧するのにはさらに時間がかかり、屋根の付け替えに始まり、畳の入替、折れたTVアンテナの復旧等、2週間程度かかりました。その間親戚の家を転々としており、家に帰れることと、実家のテレビが映った時の喜び(○丁目の夕日みたい)が強烈に記憶に残っています。

 

台風への備えを・・・

前述の経験の中で準備で用意いただきたいものは、食糧よりも照明道具となるろうそくや、懐中電灯(と予備の電池)情報源となるラジオです。逆に食糧は好みの食物を選べる自由はなくなりますが、不足した記憶がありません。不足したのは、数日間フェリーが到着しないことによる本土製造の物資(パン・牛乳)と雑誌(ジャンプやマガジン)ぐらいです(笑)

 

当時不足こそしませんでしたが、高層建物の場合、停電=ポンプ停止に伴う断水を引き起こしますので、飲料水の確保と簡易トイレの確保は必要なのでないかと考えられます。

ピークこそ過ぎたものの、今後襲来するかもしれない台風の対策としてご参考になれば幸いです。

 

 

 

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